仏教とは仏の教え。

お釈迦様の教えをあらわします。

ここでは、様々な仏語の意味を説いていきたく思います

仏教の根本

「諸悪莫作」(しょあくまくさ): もろもろの善くないことはつくるなかれ。
 
「衆善奉行」(しゅぜんぶぎょう):広く善いことは進んでおこないなさい。
 
 自浄其意」(じじょうごい): 自らその意を浄めなさい。
 
「是諸仏教」(ぜしょうぶっきょう):これ諸仏が説かれる教えなり。

三毒(さんどく)

仏教では、三毒(貪欲、怒り、愚かさ)は苦しみを生んでしまうことが説かれています。

人は智慧がない為に貪欲になり怒りをもってしまいます。

仏教では、この三毒により必ず自身を苦しめ、自身の先々に障害が訪れていくきっかけとなっていくことが説かれています。

中道

ヤカンにあるお湯の沸騰を無理にフタをしておさえようとすると、ヤカンからお湯があふれてきます。

心の中もそうなのかもしれません。

努力精進は本当に大切なことなんですが、辛くて辛くて沸騰しそうな時は、無理をされないことも大切なことだと思われます。

火を消さずに放っておくと心が沸騰して、破裂してしまいます。

お釈迦様は中道をお説きになられました。

中道とはまさに真ん中。

何にも偏らない生き方をすることです。

シーソーなどと同じで、片方に偏るとバランスがとれないものです。

偏らずバランスよく休憩と努力精進を心がけ、ゆっくりとゆっくりと少しずつ前へ歩んでいきましょう。

千里の道も一歩からです。

善因善果・悪因悪果・自因自果

お釈迦様は運命の原因と結果の関係を次のように説かれました。

善因善果(ぜんいんぜんか)

善い行いをすれば、善い結果が現れる

悪因悪果(あくいんあっか)

悪い行いをすれば、悪い運命を引き起こす

自因自果(じいんじか)

自分の行いは、自分の結果となって返ってくる。
刈り取らねばならぬ一切は、自分のまいたものである。


解説

大根の種を撒いて、キュウリが出てくることは絶対にありえません。我々は不幸も幸せも自分自身の日々の行いで決まっていきます。

因果の道理は仏教で説かれています。

物事が悪くなった時は、心が窮屈になり人は他人のせいにしてしまう傾向があるような気がいたします。

例えば、旦那さんに色々な問題点があるとします。
暴力をふるったりする旦那さんは問題なのですが、星の数だけいる男を選んだのは奥様になります。だからこそ仏教では自因自果になるのです。

物事が悪い方向にいった時、相手を責めてしまいたいのですが、まずは自身を見つめなおしなさい。と仏の教えでは説かれています。

なかなか難しいですよね(^_^)

物事が良くなればおかげ様、物事が悪くなれば自身のせいだ‼︎っといっていけるような心の大きな人間を目指して私自身もこれからも邁進したく思います。

五蘊無我(ごうんむが)

五蘊無我とは自分への愛着や執着を捨て去り苦しみから解放されようという教え。

自身が可愛いから悩んでしまう。

自分のことを見つめるから苦しんでしまう。

実は、悩みが少ない人は、人の幸せばかりを考えて行動をしている。

人を幸せにする発言や行動は、自身の心を豊かに幸せにする。

三法印、四法印

三法印とは
「諸行無常印」「諸法無我印」「涅槃寂静印」の三つを言います。
(時にはこれらを略称して「無常印」「無我印」「涅槃印」ということもあります。)

三法印(さんぼういん)とは、「三つの仏教を特徴づける真理」と言う意味です。

この三法印の特徴を持っているものが仏教であり、無ければ仏教ではないということです。

この三法印に、「一切皆苦」を加えて四法印(しほういん)とよぶこともあります。

諸行無常。しょぎょうむじょう
現実の世界のあらゆる事物は,絶えず変化し続け,決して永遠のものではないということ。

諸法無我。しょほうむが
一切のものには我としてとらえられるものはないということ。
目に見えるもの見えないものを含めて一切の縁起によって生かされていること。

涅槃寂静。ねはんじゃくじょう
煩悩の炎の吹き消された悟りの世界。
涅槃は静やかな安らぎの境地(寂静)であるということ。

一切皆苦。いっさいかいく
「この世は自分の思い通りにはならず、苦しく不満なものである」という意。
「自分の思い通りにならない」ということ。

これらの苦しみから救われる為に、仏教では、六波羅蜜などが説かれいます。

「詳しくは、仏の教えと御利益にのせています。」