お布施の深い意味について。

お釈迦様が、ある村人に托鉢を断られて、対話説法をされた時の話をしたく思います。

村人に托鉢を拒否されて、お釈迦様は何故、托鉢を断るのか⁇と、理由を聞きます。

すると、ある村人は「私は、毎日一生懸命に働いて、自ら収穫して食べていっている。あなた達は何様ですか⁇出家者達も自ら食べていけるように畑を耕し、種を蒔くべきだと。」っと、お釈迦様に答えます。

すると、お釈迦様は「我々もまた、耕作者である。人々の心の大地に種を蒔き、正しい智慧と正しい行いと真実を守ることを教え、心の種に智慧という水を与えています。やがて、その心の種に花が咲き人々に甘露をもたらすのです。」と、お釈迦様はある村人に説法をされたのです。
その説法をお聞きして、村人のみんなは、お釈迦様に帰依をなされて、お釈迦様やお釈迦様のお弟子さん達に施しをされていった。.......という話を仏教の本で見たことがあります。

お釈迦様が説かれているように、邁進されているお坊さんへのお布施をすることは、勿体無いと思ったり、嫌々してはいけないことかと私は思います。

今度は、このような話をすると「お布施なんて馬鹿馬鹿しい、神や仏なんていない。お寺が儲かる為の都合の良い言葉でしかない。」っと、三宝や布施波羅蜜の意味を学ぼうともせずに、正しい行者や正しい僧侶の気持ちや意図も考えることもせずに、そのような悲しい事を言ってしまう人もいます。

人様に施しが出来なくなるということは、執着のあらわれでもあり、自分の為だけに生きていくことの意味にもなります。
(布施波羅蜜が出来ていないということは、自分の恩人や大切な人が食べていけなくなろうとも関係ないと無意識に思ってしまっているものなんです。)

自分可愛さから、自己の執着によって、誰かが犠牲になり悪業を作ってしまい、その悪業が自身に巡りに巡っていき、自分が結果的に苦しんでしまうことが仏教では考えることが出来ます。

お坊さんは仏様の教えや回忌(祈願、供養)などで皆様へ心の法施をする。

衆生の皆様の場合は、昔ならば、野菜や供物などで、物施を。
現代ならば、寺院の維持費の為に供物や財をもって、お布施をさせていただく。

お布施という行いにより、各お寺さんはロウソクや線香を買ったり、増築したり、運営をする為の維持費、生活する為の資金となっていきます。

だからこそ、互いの為にも必要で尊い行いだったりします。

しっかりと三宝を守っているお寺さんがどんどん栄えれば、誠の仏の教えが広がり続けることになっていきます。

正しい仏の教えがきちんと世の中に広がり続ければ、1人1人の心が豊かになり、助けあいの心を持てる人が増えていくことが考えることが出来ます。

互いの施し合いにより、豊かな人々が増えていくことになれば、その豊かな人と自分も巡り会い、自分も結果的に救われていくことが考えることが出来るのです。

施しという善行は、必ず自分にめぐっていき、結果的に自分さえも施されていくのです。

お布施は基本的にお気持ちなのですが、最低限の志しを包んで、マナーを守ってお布施を納めていきましょう。

”いくら包んだらいいのか⁇何にもわからない時には、ネットで調べるか、そのお世話になるお寺さんに聞いてみましょう。”

⚠︎皆様のご支援やご協力がなければ、何処のお寺も運営していくことが出来ません。

お金を包むことが惜しくなった時には、お布施には深い意味が眠っていますので、上記のことを理解していただけたら幸いに思います。

あり得ないと思いますが、もしも、お金なんかいらない‼︎お金を捨てたい‼︎と思った時には、神社仏閣、ボランティアなどに使っていただけたらと幸いに思います。

皆様は、心豊かな人々が世の中に増えていくことにより、自分自身のお孫さんやその子供さんたちも救われていくように思いませんか?

仏教や宗教に興味がない方は、三宝に帰依しているお寺さんが潰れようと、どうでもいいことかもしれませんが、正しい教えがなくなった世の中を想像していただけたらと思います。

あなたの側から優しくしてくれていた友や人がどんどんいなくなっていきます。

「いやそんなことないよ。」なーんて言う人がいます。

今、良い縁に恵まれているということは、身近な誰かが徳を積んでくれているということを忘れてはいませんか⁇

その良い縁に自分だけ恵まれたら、それでいいのでしょうか⁇

自分自身や自分の孫さん達には、出来る限りに幸せでいて欲しいものです。

意味を知れば知るほど、少しばかりかお布施についての捉え方が違ってくるかと思います。

包まなくていいよ‼︎なーんて、言ってしまわれる拝み屋さんや行者さんがいますが、それは、三宝に帰依が出来ていない意味にもなります。
本当の意味で、お互いの為になってはいないことが上記から分かると思われます。

だからこそ、きちんと三宝を守っているお寺さんに施しをすることは大変ありがたいことだということなんです。

皆様は、目に見える化粧品や車などは、高いお金を払っても買うと思います。
しかしながら、精神が磨かれ心が救われることに対しては、お金を払えない‼︎なーんていうのは、おかしいことだとは思いませんか⁇

誰もが不満を持たないような誠の布施行が世の中に広がり続けることを心よりお祈りいたします。

互いの幸せの為に。未来の幸せの為に。

南無大師遍照金剛

合掌 慶祐 九拝